『風の谷のナウシカ』を見て、いちばん強く記憶に残る存在といえば、やはり王蟲ではないでしょうか。
青く光る目。怒ると赤く変わる目。地響きを立てて進む巨大な群れ。
見た目だけなら、どう考えても「倒すべき怪物」に見えます。
ところが『風の谷のナウシカ』を最後まで見ると、話はそんなに単純ではありません。
日本テレビの作品紹介でも、ナウシカは腐海に棲む王蟲をはじめとする生き物たちと心を通わせる少女として紹介されています。さらに、人類は有毒な瘴気を出す腐海と蟲におびえながら暮らしていると説明されています。【出典1】
つまり、この映画を見るうえで大事なのは、
王蟲は敵なのか。腐海は悪なのか。そして巨神兵は本当に人類を救う兵器なのか。
この3つを分けて考えることです。
王蟲、腐海、巨神兵は同じ「人類を脅かすもの」ではありません。それぞれ役割がまったく違うとわかると、『ナウシカ』の世界がかなり見えやすくなります。
このページでわかること
- 王蟲は何者なのか
- 王蟲の目が赤くなる理由
- 腐海は本当に人間の敵なのか
- ナウシカはなぜ王蟲と心を通わせられるのか
- 巨神兵とは何なのか
- 「腐ってやがる。早すぎたんだ」の意味
- 王蟲と巨神兵はどちらが強いのか
- 原作漫画では王蟲や巨神兵がどう描かれるのか
風の谷のナウシカの王蟲とは何者?
王蟲は、腐海に生息する巨大な蟲です。
日本テレビの公式紹介でも、王蟲は腐海に棲む生き物として登場し、ナウシカが心を通わせる存在として説明されています。【出典1】
その巨大さと独特の姿から、最初は「怪物」に見えます。
でも、映画の王蟲は人間を見つけたら無条件で襲う生き物として描かれているわけではありません。
ナウシカは蟲笛を使い、王蟲を傷つけずに腐海へ帰そうとします。
つまり、ナウシカから見た王蟲は、
「恐ろしいから倒す存在」ではなく、「行動の理由を理解できる生命」
なのです。
王蟲の目が青と赤に変わるのはなぜ?
王蟲の目は、普段は青く描かれています。
しかし、激しく怒った状態になると赤く変わります。
映画終盤で王蟲の群れが赤い目のまま暴走する姿は、『ナウシカ』を象徴する場面のひとつです。
ここで見落としたくないのは、王蟲が理由もなく突然怒ったわけではないことです。
人間側が幼い王蟲を傷つけ、その個体を利用して王蟲の群れを誘導したことが大きなきっかけになっています。
王蟲は人間の味方なの?敵なの?
「味方」「敵」のどちらか一方で決めると、少し違って見えます。
王蟲は人間の軍隊ではありませんし、ナウシカの命令で動く存在でもありません。
ナウシカは王蟲を操っているのではなく、相手の反応を見ながら接しています。
だから、
「ナウシカには王蟲を操る特殊能力がある」
と単純に説明するより、蟲の行動を理解しようとし、ほかの人間より深く関係を築いていると見るほうが映画の描写に合います。
相手を支配するのではなく、なぜ怒るのか、何を嫌がるのかを理解しようとする。この違いが大きいです。
王蟲の鳴き声は布袋寅泰のギター?
これは『ナウシカ』の有名な制作トリビアです。
布袋寅泰さんは2011年、自身の発言として王蟲の鳴き声について、久石譲さんに呼ばれ、ギターで演奏したことを明かしています。ORICON NEWSがその発言を報じています。【出典2】
あの低く響く独特の音に、ギターが使われていたわけです。
ただし、「映画に登場する王蟲の音がすべて布袋寅泰さん一人のギターだけで作られている」とまで広げて断定するのは避けたほうがいいでしょう。
確認できるのは、布袋さん自身が王蟲の鳴き声のためにギター演奏をしたと語っていることです。【出典2】
腐海とは何?
腐海は、『風の谷のナウシカ』の世界に広がる巨大な森です。
日本テレビの公式紹介では、有毒な「瘴気」を吐き出す木々が生い茂る場所として説明されています。人類は腐海と、そこに棲む蟲たちにおびえながら暮らしています。【出典1】
人間にとっては非常に危険です。
マスクなしで瘴気を吸い込めば生存が難しく、胞子が人間の土地へ入り込めば、その土地が腐海へ飲み込まれる恐れがあります。
だから人々が腐海を怖がるのは、決して大げさな反応ではありません。
実際に生活を脅かす存在なのです。
腐海は人類を滅ぼすための森なの?
ここが、『ナウシカ』の世界観で最も面白いところです。
映画の序盤では、腐海は完全に「人間を侵食してくる毒の森」に見えます。
ところがナウシカは、自分で腐海の植物を育てています。
そして、清浄な水と土で育てると、腐海の植物そのものは毒を出さないことに気づきます。
つまり問題は、植物だけにあるのではありません。
植物が根を張っている土や水の側に、すでに汚染がある。
映画はここで、「毒を出す森だから悪い」と見えていた前提をひっくり返します。
人間から見れば危険な森です。しかし「危険=悪」とは限りません。ナウシカは、腐海を焼く前になぜ毒が生まれているのかを調べます。
腐海の地下がきれいなのはなぜ?
ナウシカとアスベルが腐海の深部へ落ちた場面では、地上とはまったく違う静かな空間が描かれます。
そこには瘴気がなく、ナウシカはマスクを外すことができます。
この場面から見えてくるのは、腐海がただ毒をまき散らして広がっているだけではない、ということです。
映画版では、この事実が世界のすべてを説明するところまでは進みません。
ただ、ナウシカは腐海の役割について、それまでの人々とは違う見方へ近づいていきます。
原作漫画では、この腐海の意味がさらに深く掘り下げられます。
巨神兵とは何者?
巨神兵は、王蟲とはまったく別の存在です。
日本テレビの公式紹介では、「火の七日間」で使われた人型兵器として説明されています。
ペジテの地下深くから発見された巨神兵をトルメキアが奪い、その運搬途中で巨大船が風の谷へ墜落したことから、映画の大きな事件が始まります。【出典1】
つまり、王蟲が腐海に生きる生命なのに対して、巨神兵はかつて人間の文明が生み出した破壊力に結びつく存在です。
王蟲は腐海に暮らす生命。巨神兵は「火の七日間」に使われた人型兵器として描かれます。ここを分けるだけでも世界観がかなりわかりやすくなります。
火の七日間とは何?
『風の谷のナウシカ』の時代は、現代文明の延長ではありません。
日本テレビ公式では、「火の七日間」と呼ばれる大戦争から1000年後の世界と説明されています。【出典1】
つまり巨神兵は、ナウシカたちの時代に新しく開発された兵器ではなく、文明崩壊以前の時代につながる存在です。
クシャナたちは、その古代の圧倒的な力を復活させ、腐海を焼こうとします。
人間にとって危険な腐海を消してしまえばいい。
発想だけを見れば、非常にわかりやすい解決策です。
でも、この映画はそこで「本当にそれで解決するのか?」と問い返してきます。
「腐ってやがる。早すぎたんだ」とはどういう意味?
映画終盤、王蟲の大群を止めるために巨神兵が使われます。
しかし、巨神兵は完全に成熟していません。
そのため圧倒的な攻撃を放つ一方で、体そのものが崩れていきます。
そこで出てくるのが、有名な「腐ってやがる。早すぎたんだ」という場面です。
要するに、
本来の状態になる前に、無理に巨神兵を使ってしまった。
ということです。
そして結果として、巨神兵の圧倒的な攻撃でも王蟲の群れを完全には止められません。
王蟲と巨神兵はどっちが強い?
この比較は面白いのですが、映画だけから単純な「戦闘力ランキング」を決めるのは難しいです。
巨神兵は非常に強力な攻撃を放ちます。
一方、王蟲は一体だけではなく、大群で行動します。
しかも映画で使われた巨神兵は未成熟でした。
条件が違いすぎるため、
「完全体の巨神兵なら王蟲より強い」
あるいは、
「王蟲のほうが絶対に強い」
と映画だけから断定することはできません。
むしろ大事なのは、巨神兵で王蟲を吹き飛ばしても、王蟲がなぜ怒ったのかという原因は消えないことです。
原因を理解しないまま力だけ大きくしても、問題そのものは残る。巨神兵の場面は、それが見えやすい場面でもあります。
ナウシカはなぜ王蟲の前に立った?
終盤でナウシカがしようとしたのは、王蟲を倒すことではありません。
人間によって傷つけられた幼い王蟲を群れへ返し、暴走の原因を取り除こうとします。
ここが巨神兵を使うクシャナたちとの大きな違いです。
一方は、巨大な力で王蟲そのものを止めようとする。
もう一方は、王蟲が怒った理由へ戻ろうとする。
この違いが、映画の終盤を理解する鍵になります。
「青き衣」の伝説と王蟲はどう関係する?
映画のラストでは、ナウシカの姿が風の谷に伝わる古い言い伝えと重なっていきます。
ただし、ナウシカが最初から「自分が伝説の人物になる」と考えて行動したわけではありません。
彼女がしようとしたのは、傷つけられた王蟲を救い、大群の暴走を止めることです。
その結果、人々の目には伝説と重なる姿として映ります。
伝説を実現するために王蟲を救ったのではなく、王蟲を救おうとした行動の結果が伝説と重なったと見ると、ラストが理解しやすくなります。
原作漫画では王蟲と巨神兵がさらに重要になる
映画だけでも王蟲と巨神兵は重要ですが、宮﨑駿さんの原作漫画全7巻ではさらに世界が広がります。
スタジオジブリは新作歌舞伎について、映画では描かれなかった原作漫画全7巻の物語を舞台化した作品と紹介しています。【出典3】
原作では腐海の意味、人間の世界の成り立ち、巨神兵の存在などが映画よりさらに深く描かれます。
特に巨神兵は、原作でオーマと呼ばれる存在が物語後半の重要な位置を占めます。
そのため映画を見て、
- 腐海は結局何なのか
- 王蟲はなぜ存在しているのか
- 巨神兵は本当は何者なのか
- 人間はこの世界でどう生きるのか
まで知りたくなった人は、原作漫画へ進むとさらに大きな物語が待っています。
王蟲のモデルはダンゴムシ?
王蟲については、「ダンゴムシがモデル」「三葉虫がモデル」など、さまざまな説を見かけます。
ただ、似ている生物がいることと、公式にモデルとして確認されていることは別です。
今回確認したスタジオジブリや日本テレビの公式情報では、「王蟲のモデルは○○である」と一つに特定する説明は確認できませんでした。
そのため、特定の生き物を公式モデルとして断定しないほうが安全です。
王蟲の大きさは何メートル?
王蟲は非常に巨大ですが、今回確認した映画公式の作品情報では、映画版の王蟲について「全長○メートル」と固定した数値は確認できませんでした。
イベント用造形物では全長8メートルを超える王蟲が制作された例がありますが、これは展示作品のサイズです。映画世界の王蟲そのものの公式設定値とは分けて考える必要があります。【出典4】
結局、王蟲・腐海・巨神兵はどう違う?
腐海 → 人間には有毒だが、その役割には別の側面がある巨大な森
巨神兵 → 「火の七日間」に使われた古代の人型兵器
この3つを全部「人間を脅かす敵」としてまとめてしまうと、『ナウシカ』の世界はわかりにくくなります。
むしろ、人間から見て恐ろしいものでも、同じ理由で存在しているわけではありません。
そこを見分けようとする人物が、ナウシカです。
よくある疑問
王蟲は悪者なの?
映画では単純な悪役として描かれていません。終盤の大群の暴走にも、人間側が幼い王蟲を傷つけて利用したという原因があります。
王蟲の目が赤いのはなぜ?
激しく怒った状態で赤く描かれます。通常時には青い目です。
王蟲の鳴き声は本当に布袋寅泰?
布袋寅泰さん自身が、久石譲さんに呼ばれて王蟲の鳴き声のためにギターを弾いたと明かしています。ORICON NEWSでも報じられています。【出典2】
腐海は人間を滅ぼすために存在するの?
映画では、人間に有毒な森として始まりながら、ナウシカの調査や腐海深部の描写によって、単なる「悪い森」では説明できないことが示されます。原作漫画ではさらに詳しく描かれます。
巨神兵は生き物なの?ロボットなの?
日本テレビの映画公式紹介では、「火の七日間」で使われた人型兵器と説明されています。【出典1】
巨神兵は王蟲より強い?
映画だけでは単純に比較できません。終盤の巨神兵は未成熟であり、王蟲も大群で行動しているため、同じ条件での強さを示す場面ではありません。
原作漫画にも巨神兵は出てくる?
登場します。原作では巨神兵オーマが物語後半の重要な存在になります。映画より先の物語を知りたい場合は、原作全7巻を第1巻から読むと流れを追いやすくなります。
まとめ
『風の谷のナウシカ』の王蟲は、ただの巨大な怪物ではありません。
腐海に生きる生命であり、怒りにも原因があります。
腐海もまた、人間には危険だからといって、単純に「悪い森」と言い切れる存在ではありません。
そして巨神兵は、その2つとは違い、「火の七日間」で使われた古代の人型兵器として物語へ持ち込まれます。【出典1】
つまり、
王蟲は生命。腐海は世界。巨神兵は力。
この3つを分けて見ると、『風の谷のナウシカ』が単純な「人間対怪物」の映画ではないことが見えてきます。
ナウシカが特別なのは、強いからだけではありません。
怖いものを見たとき、すぐに敵と決めない。
なぜ怒っているのか。なぜ毒があるのか。なぜこうなったのか。
そこまで見ようとします。
王蟲と腐海を知ると、この映画の中心にあるものが、かなりはっきり見えてきます。
情報ソース
映画の世界設定、腐海、王蟲、巨神兵、「火の七日間」については日本テレビ「金曜ロードショー」の公式作品情報を主軸に確認しています。作品基本情報はスタジオジブリ公式、王蟲の鳴き声に関する布袋寅泰さんの発言はORICON NEWS、原作全7巻についてはスタジオジブリ公式の歌舞伎関連情報を補完資料としています。
- 【出典1】日本テレビ|金曜ロードショー「風の谷のナウシカ」
- 【出典2】ORICON NEWS|布袋寅泰がナウシカトリビア告白「オーム(王蟲)の鳴き声は僕」
- 【出典3】スタジオジブリ|新作歌舞伎「風の谷のナウシカ」関連情報
- 【出典4】コミックナタリー|「風の谷のナウシカ」腐海造形・王蟲展示関連情報
- 【出典5】スタジオジブリ|風の谷のナウシカ(1984)
注意書き:王蟲や腐海の象徴的な意味、巨神兵が何を表しているかといった部分には、作品内の描写から複数の解釈が可能です。宮﨑駿監督本人の意図として公式に確認できない内容は、本人の意図として断定していません。また、原作漫画には映画版よりさらに詳しい設定や展開があるため、映画と原作の内容を混同しないようご注意ください。


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